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ミズーリ州空軍第110戦術戦闘機隊の起源は、1917年にテキサス州のケリーフィールドで創設された偵察飛行部隊まで遡るが、第二次大戦では主に爆撃機部隊として活動し、ニューギニアやフィリピン方面で日本軍と戦った戦歴を持つ。また1929年単独で大西洋横断飛行を成し遂げたチャールズ・リンドバーグもこの飛行隊に5年程疎めていた事も有名で、インシグニアにリンドバーグの名前が入っている。州空軍としては、もちろん第二次大戦以降の1946年5月の創設となるが、この時はP-51を擁する戦闘機部隊であった。朝鮮戦争では再びB-26インベーダー爆撃機を擁する爆撃飛行隊として爆撃任務で参戦している。部隊のインシグニアは、何故かユニークなロバ君であるが、鼻息の荒いこのロバ君、機関銃を抱えたり偵察用の望遠鏡を持ったり、その時代の任務によってインシグニアの絵柄を変えている。1979年にF-100戦闘機からF-4Cファントムに機種交換し、6年程使った後F-4Eに更新している。現在は再び爆撃飛行隊としてステルス爆撃機B-2を運用する飛行隊となっている。
↑ 1981年6月 ミズーリ州のセント・ジョセフで撮影されたF-4C/64-0749。セント・ジョセフには、2023年現在ミズーリ州空軍のC-130Hが配備されている。セント・ジョセフは、有名な小型馬を使った郵便事業ポニー・エクスプレスの発祥地。
↑ 1981年6月 ミズーリ州ランバートで撮影された110th TFSのF-4C/64-0772 & 64-0889。D型時代後半には、テールレターが入るようになり、次のE型時代に引き継がれている。”SL”は、もちろんミズーリ州セントルイス(St.Louis)を示している。E型になると機首にシャークティースを入れ注目される事になるが、この写真はこれから整理するF-4Eの項目までお待ち願いたい。
↑ 1981年9月 ミズーリ州ランバートで撮影されたF-4C/64-0704。奥にはヨーロピアンⅠ塗装のF-4Cも見える。
↑ 1980年7月ミズーリ州セントルイスのランバートフィールドで撮影されたF-4C/64-0704と64-0910。この後、同隊のファントムに赤いチップラインが入り、ロバのスコードロンインシグニアも加わって部隊マーキングが整って行く。ランバートフィールドは、現在はセントルイス国際空港として3000m級滑走路3本と2500m級滑走路1本を持つ大きな空港である。州空軍機がF-15を使っていた時まではこの基地を利用していたが、現在の州空軍機B-2爆撃機に替って以降は、此処を出てホワイトマン空軍基地に移動している。
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↑ 1981年6月 ミズーリ州ランバートで撮影されたF-4C/63-7434。シリアルから見ればミズーリ州空軍110th TFSの中でも特に古いC型である。1981年には同隊のファントムの一部はオーバーラルカモフラージュが施されていた事が判る写真。国籍マークも線に変わったが、州空軍マークや赤い帯は健全である。
↑ 上の2枚のランバートフィールドで1980年6月に撮影された110th TFSのF-4C/64-0910 & 64-0911。そして64-0749。F-4C/64-0749は、資料によればホームステッド空軍基地で教材に使われていたが、1992年のハリケーン・アンドリュースの暴風雨で破壊され廃棄された模様である。。
F-4C 110th TFS / Missouri ANG
(F-4C 1979-1985)
↑ ミズーリ州空軍110th TFSに配属されたばかりのF-4C/64-0666。1979年7月ミズーリ州セントルイスのランバートフィールドで撮影されたもの。この後、同隊のファントムには赤いチップラインが入れられていく。